Last Updated on 2025年12月18日 by 受験おじさん
私は2025年、40歳になりました。
今日は、過去の自分が選んだ「浪人」という選択が、今振り返って本当に良かったのかどうかについて、正直な思いをお話ししたいと思います。
結論から言えば、私は今でも「浪人して良かった」と心から思っています。
では、なぜそう言えるのか。
逆に「浪人しなければ良かった」と思うケースとは、どんな場合なのか。
そのあたりを、20年以上経った今の視点で整理してみます。
「浪人しなければ良かった」はどんな場合か
私の場合、もし浪人をしていなかったら、第一志望には間違いなく受かっていませんでした。
つまり、志望していなかった、少しランクの下の大学に進学していたと思います。
もちろん、その大学での出会いや経験が悪いとは言いませんが、「本当にあのとき挑戦しなかった自分」に、きっとずっとしこりのような後悔が残っていたはずです。
浪人しなければ、私は“自分の限界を超える経験”をしないまま大学に進んでいた。
それを思うと、浪人した意味は非常に大きかったと今でも感じます。
「1年を無駄にする」という誤解
浪人に対して「1年を無駄にする」という言葉をよく耳にします。
でも、私はこの考え方には強く反論したい。
なぜなら、浪人の1年は「第一志望に合格するための時間」であり、決して無駄ではないからです。
もちろん、勉強するフリだけして途中で挫折し、結果も出なかった場合は「無駄になった」と感じるかもしれません。
でも、自分を信じて最後まで走りきり、第一志望に合格できたなら、その1年は“人生の中で最も濃い時間”になります。
18歳という若さで1年をどう過ごすかは、その後の20年を左右すると言っても過言ではありません。
40歳になった今の私から見れば、あの1年があったからこそ、その後の人生を前向きに歩むことができたと思います。
「本当の勉強」を初めて知った1年
浪人をして良かったと思う最大の理由は、「自分がどれだけ何もわかっていなかったか」を痛感できたことです。
現役時代の私は、ただ「勉強しているつもり」になっていました。
模試の結果や偏差値ばかりを気にして、本質的な理解には全く届いていなかったんです。
浪人の1年を通して、私は初めて「理解するとはこういうことか」と実感しました。教科書を読み、問題を解き、間違えた原因を考え、解説を自分の言葉で説明できるようになるまで繰り返す。
その積み重ねの中で、知識が自分の中に“定着していく”感覚を覚えました。
点数が上がるだけでなく、頭の中が整理され、考える力が磨かれていく。
あの1年は、まさに「勉強の意味」を初めて理解した時間だったと言えます。
「自分と向き合う」ことの重み
浪人生活では、誰かが横で励ましてくれるわけではありません。
見張っているのは常に自分自身です。サボれば結果は自分に返ってくるし、努力すれば確実に自分が変わる。
そのシンプルな構造の中で、「自分に嘘をつかないこと」の大切さを学びました。
毎朝机に向かうたび、「今日もやるのか」「本当に受かるのか」という不安と戦いました。
でも、そのたびに自分で自分を奮い立たせる。
この1年間で得たのは、知識だけではなく、“自分を律する力”だったと思います。
「一皮むける」経験は一生に一度
40歳になった今でも、浪人時代ほど自分の殻を破った経験はありません。
勉強に本気で向き合い、自分の弱さを認め、それでも前に進んだ1年。
その1年を経て、「努力すれば必ず変われる」という確信が、私の中に根づきました。
浪人の1年は長いようで短く、苦しいようで一番成長できる時間です。
だからこそ、これから浪人を考えている人に伝えたいのは、「無駄になるかどうかは自分次第」ということ。
自分を信じて、逃げずに最後までやり抜けば、その1年は確実にあなたの人生を変えるものになります。
さいごに
浪人をするかどうか迷っている人へ。
どうか、まだ始まってもいないうちから「無駄になるかも」と恐れないでください。
その1年でしか得られないものがあります。
私にとって浪人の1年は、人生でたった一度、自分と真剣に向き合い、“一皮むけた”時間でした。
あなたにとっても、そう感じられる1年になることを願っています。


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